2008.04.04

映画”魔法にかけられて-Enchanted”

まさにディズニーがいま創るべき映画だと感じました。
公開からすこし経ちましたし、ちょっと踏み込んで書いてみましょう。まだ御覧になっておられないかたは、以下、お読みにならず、まっさらな目で体験されたほうが素敵かもしれません。

なぜ不幸な人は不幸なのか、
幸せになるにはなにを変えればいいのか、
ファンタジーがどんな力をもち、
ディズニーがいま何を為すことで、現実社会を幸せに変えていこうとしているのか、
とてもよく描かれています。

この映画には、”ある意味幸せな人々”と、沢山の”不幸な人々”とが登場します。

”不幸な人々”は、みなそれぞれの不安に駆られ、身を守ろうとするうち、自分自身の真実を見失っています。不安こそが現実で、永遠の幸せなんて幻だ、と信じています。まるでお伽話の悪役のように。とくに現代のNYは、そんな不幸なひとだらけ。そのくせ夢の王国に憧れ、そのシンボルをたぁくさん取り入れてる。生活と不可分なほどに。
形や名だけ取り入れて、でも、核心のメッセージだけは「夢の世界のお話さ」と現実から切り離す。自分の心根には、愛を発揮させない。
そんな今の社会の馬鹿馬鹿しさを、この映画は徹底的に皮肉って笑い飛ばしています。

魔法の鏡や、鳩よりも、ずっと便利なものたちに囲まれている現代。
たぶん唯一、お伽の国にあって現実の世界にはない道具、それは・・・自分の真実をあからさまにしてくれる、お約束たちなのではないでしょうか。たとえば、真実の愛のキス、ぴったりはまる靴、初対面なのにしっくり合うデュエット。
でも本当は、自分の真実なんて、自分が知っている。不安が築いた蓋をとり、きちんと見つめさえすれば。
歌い、踊り、語り。ひとが自分の真実をそのまま生きた瞬間、幸せはそこに顕れる。
これはまさに、ディズニーのテーマパークで日々起きていること。

一方の、”ある意味幸せな人々”。彼らが現実世界で持味を発揮したとき、”不幸な人々”が幸せになる。そのためには、彼らの側にも、無限の変化が必要なのかも。ありのままの今を感じ、その瞬間の真実を表現し続けるという。
この記事のタイトル、ついさっきまで間違って”魔法に魅せられて”ってつけてました(^^;
僕は、まちがいなく”魔法に魅せられて”る人。僕自身が魔法を起こせてるかどうかはわかりませんが、たくさんの魔法をかけていただき、奇跡を体験してきました。なかでも一番凄かったのは、http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20070531に始まる件でしょうか。
魔法って、確かに実在します。
たった一枚のシール。紙とのりで出来たただの物体が、魔法-Enchant-祈りをこめることで、義母の命を救った。
ただの部屋、ただの楽器、ただの声、ただの人々。Enchantによって、ふたつとない素晴らしい空間が生まれ、その体験を語る事で、義母は”回復する”と決断してくれた。

そして・・・実は、この世界って、すべて魔法-Enchantで動いている。願いや祈りこそが、ものごとを動かし、生み出し、はぐくんでいる。意識してるにせよ、無意識にせよ。
だから、どんな魔法をかけるか・・・ダークサイドのファンタジーを信じるのか、それとも、真実の愛に忠実に生きるのかが、この瞬間を、そして世界を、大きく変えます。

とても不思議なことに、この映画がお伽話を皮肉っているという感想を散見します。そう見えてしまうのは、日本の社会が周囲から浮き上がってしまうことを極端に恐れているからなのではないでしょうか。
この映画はむしろ、お伽話をとりまく状況、つまり、現実社会のほうを、強烈に皮肉っています。その切り口で観てみると、とても深く、すぐに役立つメッセージを読み取れることと想います。

字幕版と日本語吹き替え版、両方見ました。私は、日本語版で始めて理解できた事もある程度の語学力ですが、それでも英語版の方が、感じるものが多かった。たとえば、プリンス・チャーミング、フェアリーゴッドマザー、チップ、ベラ・ノッテあたりは、日本語版では表現されていませんでした。

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